こんにちは。
今回は、他の人に否定された時の心の持ち方についていろいろ喋ろうと思います。
願望実現のために行動していると他人から否定されることってありませんか。
例えば、お笑い芸人の場合は、<人気爆発して、いずれは自分たちの番組を持ったり、司会ができたら良いな>という夢を持っていたとします。
すると、家族や嫁、旦那、友人などから「無理だと思う」と返されたり、その後に長々と説教を受けたりすることってあると思います。
あなたが願望達成が無理な理由をくどくどと説明されたりしてうんざりすることもあるのではないでしょうか。
今回はそういう場合のメンタルの作り方について解説していきます。
どんな願望でも素晴らしく、尊い。 しかし世間は…
私は、願望を持つこと自体に良いも悪いもないと思います。
そして、それがどんな願望であってもかけがえのない物だと私は考えています。
いかに小さな願望だとしても、願望を持つこと自体が良いことだと思っています。
例えば、オンラインゲームで1位になるとか、そういう願望でもいいわけです。
「しょうもない」とか、「たいしたことないの願望だな」とは全然思いません。
ですが、世間一般的には高尚な願望とそうでないものとに区別されているように感じます。
以下の順番で、世間では高尚だと考えられているように思っています。
お金・仕事に関係する願望 > スポーツに関する願望 > 趣味に関する願望
世間一般では、だいたいこのように↑考えられているのではないでしょうか。
<会社を経営して年商100億円を達成する>という願望と<オンラインゲームで1位になる>という願望を比べたら、普通の人は「100億円の会社を経営する方が、尊くて素晴らしい願望だ」と考えているわけです。
私の中では、どちらの願望の価値も全く同等だと考えているんですが、世の中ではそうではないようなのです。
実は願望に優劣や大小を付けて区別するのは、次の弊害を引き起こすと考えています。
高尚な願望ほど反対意見が出る
実は先ほどの、世間一般が高尚だと考えている願望の順番は、そのまま夢を語った時に出てくる反対意見の数や強さの順番と一緒なのです。
高尚な度合い:お金・仕事の願望>スポーツの願望>趣味の願望
反対意見の数:お金・仕事の願望>スポーツの願望>趣味の願望
お金やビジネス、仕事の願望について話すと家族やパートナーから猛反対されることと思います。
逆に、趣味の願望についてはあまり反対意見が湧いてきません。
「今かっこいい盆栽を作っているんだ」と言っても「あら、そうなの。」で終わると思います。
「ゲームで伝説のドラゴンを倒して、最強の剣を作りたい」と言っても「へー。」という返答だけが返ってくると思います。
ところが、「株を買って10万円を稼ぎたい」、「ケーキ屋さんを開いて大繁盛させたい」という願望を話した途端、なぜか猛烈な反対意見が返ってきます。
「あなたでは無理だと思う」「やっても無駄なんじゃない?」
このような答えが返ってくるわけです。
世間一般の人は 仕事>スポーツ>趣味 という順番で願望や夢に優劣をつけて考えているものですが、この順番はそのまま“返ってくる反対意見の多さ”を表しているのです。
相手が高尚ではないからこそ否定する
こうした反対意見が湧いてくるのは、夢や願望を語る人が現時点で、高い地位にいなかったり、まだ高尚ではないからだと思います。
つまり「お前はそんなに凄い人間じゃない!だからそんなに高い目標を設定するのは生意気だ!」という思いで、反対してくるのだと思います。
年商何十億円と稼いでる社長がバラエティー番組に出て「あれがしたい、これがしたい」と夢を語ると、「ああ、凄いですね。私たちではそんな高い目標を思いつきもしませんよ。」と司会の人がひたすらヨイショしているのを見れば明らかですよね。
もしこれが、そこまで売れていないお笑い芸人が夢を語ったりすれば、馬鹿にされたり、無理だと決めつけられ、スタジオに多少の笑いが起こる程度です。
人は、”相手の地位の高さ” と ”語る夢の大きさ” の間にギャップがあると反射的に否定してしまう生き物なのです。
反対意見に腹が立つのは自分で自分を認めていないから
反対意見をくどくどと言われるとうんざりしますし、凄まじい怒りが湧いてきますよね。
特に親しい人に反対意見を言われると、「この人は俺をダメな奴だと信じているんだ」と感じてしまい、激しい悲しみや絶望、怒りに打ちのめされると思います。
しかし、反対意見に腹が立つというのは、相手が自分を信じてくれないから、というのもありますが、本当は自分で自分を認めることができていないからというのもあるのです。
この続きはまた明日話したいと思います。